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団地の日々(一)

団地の日々(一) 暮らし

 「姉が欲しい」、そう思い始めたのは、小学校の頃だったと思う。小学校の頃といっても、六歳から十二歳まで時期は広い。そのどの辺りの頃からそう思い始めたのかは覚えていない。

 覚えていないが、「姉が欲しい」と自覚した記憶は中学二年生の出来事だったはずだ。その出来事があって、私ははじめて自分が小学生の頃に「姉が欲しい」と考え始めたのだ、と自覚した。

 その出来事とは、同級生の女の子から「秋くんって、好きな人おるん」と尋ねられたことだ。女の子はませた子だった。遅れてませはじめた私も、その返答次第が私の沽券に関わると感じたことは確かだと思う。なぜだか、いない、というのもなんだかかっこ悪いような気がしたのだ。ただ、私の口から出た言葉も、私自身意外なものだった。

「愛先輩」

私は恥ずかしさからぶっきらぼうに口籠りながら、ア、イ、先輩と、ようやくそう言ったのだ。このことは彼女の部活で話題となった。なぜなら、愛先輩は彼女たち女子テニス部の一年先輩、つまり三年生だったからだ。私にとっては、同じ団地の棟に住んでいる先輩だった。私は昔からよくこのような失敗を犯すのだが、この時も彼女たちと愛先輩との関係を勘定に入れずに発言をしてしまったのだった。

 その日の帰り、田んぼを通って下校していると、さっそく同じ小学校出身のテニス部の女の子たちから質問攻めにあった。私に質問をしたませた女の子は別の小学校出身だったが、すでに噂は広まっているらしい。質問は「どこが好きか」「いつから好きか」「告白はするのか」といった類のものだった。私は、ほとんどの質問にうまく答えることができなかった。女の子たちは、質問をあきらめて私から離れていったが、雀のような騒がしさで、楽しそうな様子だ。

 私は田んぼの中をひとりで歩きながら、野球帽を手の中でくるくると回して考えた。「私はどうして愛先輩を好きといってしまったのだろうか」「好きなのだろうか」「それとも、好きではないのだろうか」。一キロあまりの道程の下校コースであるが、自宅のある団地に到達するまでに問題の結論は出なかった。それどころか、考えたところでなにひとつその問題については進展しなかったのだった。

団地群は、決して大きいとは言えない川を隣町との境界として、小高い丘の上に建っている。K特殊鋼の社宅を中心とするコンクリート造り五階建てのグレーの長方形の建物が、十棟以上立ち並ぶ様子は孤島の要塞にも、監獄にも見えた。

 川向こうの新興住宅地には対照的に、新築建売住宅が雨後の筍のようにつぎつぎに建てられており、雨あがりには色とりどりの屋根が私の幼心には輝いて見えたものだ。

 自宅のある団地のI棟まで辿り着いた私は、いつものように路上の階段に腰を下ろした。これは、私の両親が共働きで、いわゆる「鍵っ子」であったためにできた習慣だった。家に帰っても、誰もいないので、私はだいたい団地棟の下の路上で時を過ごした。それは小学校に入ってから今まで変わらない。しかし、その日の私は階段に下ろした腰を直ぐ上げた。それは、愛先輩と鉢合わせをする可能性があることに思い当たったからだ。愛先輩まで先ほどの噂が耳に入っていると怖い、そう思った。そうでなくても恥ずかしくて目も合わせられないような気がした。といっても、引っ込み思案な私は普段からまともに愛先輩の目も見られないのであるが。

 いてもたってもいられなくなった私は、足早に403号室の自宅までの階段を上がっていった。階段は高く、急だ。四階までの階段を一気に駆け上がると息が上がった。肩で息をしながら玄関ドアの前の、階段の最上段に腰を下ろす。団地の四階からは、西に向かって広がる田んぼが見える。田んぼは夕日でオレンジ色に染まっている。田んぼに貼られた水が夕日の光を反射して煌めいている。空は雲の影が複雑な色合いで紫色に染まっている。空と田んぼとの間には、遠くにコンビナートの煙突が何本か見える、そこからいく筋かの煙が揺蕩っている。

 私は夕日を眺めることが好きだった。さまざまな場所から夕日を眺めた。そして、ここから見える景色もまた、気に入った景色のうちのひとつだ。夕日は見ていて飽きない。ゆっくりと陽が落ちていくに従って、色は濃く、そして暗くなっていく。空に浮かぶ雲の形や、流れゆく様を見ていると、吸い込まれそうな気持ちになるのだ。

 ふと、小さな黒い細長い影が、その景色の中を歩いてくのが見えた。景色のいちばん手前側、要するに団地の路上をぽつんと歩いている。人影のようだが、ラケットのようなものを背負っている。愛先輩だ。私はその影が移動していく様を、その影が建物の影に吸い込まれて消えるまで眺め続けた。

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