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もう一度、ダンスを踊って(二)

もう一度、ダンスを踊って(二) 音楽

  陽が落ちた店舗外の駐車場には虫たちの、人生を謳歌するような盛大な合唱が響き、気だるく生ぬるい、艶かしい空気が辺りに漂っていた。そこには海辺のコンビナート特有の鉄臭い潮の香りも混じっていた。
 客先から帰社したぼくは試乗車、屋外の展示車を鍵付きのスペースへ詰め込み、鍵を締めて店仕舞いの支度をする。
 定時を過ぎてようやく 落ち着きが戻った工場のかけっぱ なしのラジオからは、何年か前に流行ったレゲエ・アーテイ ストの曲が流れていた。
 工場の自販機でコーラを買って、休憩室で一服した。

 ここからの時間が僕らにとっては本番で、新規、既存問わず夜の21時ごろまで販売促進のテルコールが続く。常に上司に監視されているため、営業マンは皆、18時を過ぎないと事務所には帰ってこないのだ。
煙草を2本吸い、空き缶をゴミ箱に捨てるとぼくは、意を決して今日も事務所のある二階へ上がっていった。 

  その日ぼくと、得意げな顔をした上司は珍しく21時過ぎには仕事に区切りをつけて、連れ立って会社を出た。
 普段はこれほど早く退社することはないので、不思議な感じがした。
 上司が面白おかしくマネージャーに事前に話を通してくれており、そのおかげで早めに退社することができたようだった。
 上司の車で営業所からほど近い、駅前にあるチェーンの居酒屋に向かった。 値段の安い焼き鳥屋で、交通の便もよく、ぼくも学生の頃によく 利用したことがあるチェーンだった。
 車を降りると、駐車場の街灯には前日の雨によって生まれた蚊たちが群がるように飛び交っていた。

 「あれだ」 ガラスのドアを開けて店内に入るとすぐに、賑わっている店内から上司は器用に彼女たちがすわっている席をを見つけ出し、その方角へと歩いていった。
 上司は見当のボックス席の方角へ向 かって遠くから 「お待たせ! おそくなってごめん」 と大きな声で呼び掛けた。
 すると、茶髪のロングヘアーを後ろで緩くひとつにまとめた小柄な女性がこちらを振り返って 「遅い! ずっと待ってた のよ」 とこちらも大きな声で返事をした。
 上品な紺のワンピースを見に纏った小柄な彼女は、小さな丸顔で、本来は柔和な顔をしていることが想像出来たが、上司に対して本気で苛立っているようだ。眉には神経質そうな大きな皺が寄っている。
 「仕事が終わらなくって」 慣れた調子の涼しい顔で上司はそういい、席についた。一方ぼくはというと、どうしたらいいか わからず、ふたりの女性の前でその場に突っ立っていた。    もうひとりの女性は、怒っているロングヘアーの女性とは対照的に、長身大柄の体躯に意志の強そうな大きな黒い瞳と鋭く描いた眉、そして大きな口を持っていた。濃く染めた黒いショートカットには緩いウェーブがかかっており、シンプルなパンツスーツスタイルだった。
 彼女はロングヘアーの苛立ちには無関心な様子で、携帯に何か文章を熱心に打ち込んでいる様子だった。急な要件なのかもしれない。

 テーブルの上には手がつけられたいくつかの料理が並べられており、串入れにはすでに何本もの串がざんばらに突き刺さっている。それぞれのビールはすでに半分ほどになっており、ジョッキから滴り落ちた結露とビールの泡が無惨にテーブルに滲んでいた。

 ドギマギするぼくを見かねた上司は横目でぼくに自己紹介をするように促した。
「はじめまして、河野の部下の大西です」
他に何と言ったら良いのかわからず、ようやく喉から声を振り絞って簡潔に自己紹介をのみをしたぼくは、ようやく 木の椅子を引いて席に腰を下ろした。
 するとロングヘアーがこちらに向き直り、先ほどとは打って変わった笑顔を作って自己紹介をした。
「はじめまして、私は香織です。よろしくね。こちらは真希ちゃん」
「真希でーす、よろしくね」
 話し上手な上司のおかげで宴席は順調に進行した。
 ぼくはいつも仕事でするように年下らし く、興味を持って相手の話を聞いた。ときおり質問を投げかけては、相手の反応を待った。
 ふたりは大学の同窓生で、今でもこうして食事をする仲なのだという。年齢は29歳で、ふたりとも ぼくよりも五歳年長だった。
 大学を卒業したばかりのぼくには、ふたりともが大人の女性に見えて気遅れしたが、上司はうまく会話をつないでぼくとの共通の話題を拾っていこうとしてくれ ていた。
 昨年の一年間は上司が横について商談をしていたこともあり、痛いほどそこがわかるので、はじめのうちぼくは期待に応えよ うと躍起になった。
 実はぼくは世代の近いひとと話すために適当な世間話というものを持っていなかった。ひねくれた性格のぼくは衒学的で、趣味が良いと言 われるような嗜好についての知識を脳内に詰め込むことに躍起になって青春時代を送ってきたのだった。
 だからぼくは、上司の思うようには立ち振る舞うことはできなかった。しかし聞き役に徹するという意味では、宴席上においての及第点ではあった。
 しかしそんなぼくの不安も少しず つ解きほぐされていった。

 話の端々から、香織と上司がただならぬ仲なのではないかという想像ができた。
 香織は話すごとに上司のリアクションを伺うような目線を投げた。それについてはおそらく真希も承知の上での参加なのだろう。
 おそらくはぼくだけが、上司と香織の関係を知らずにいたのだった。
 ふたりはざっくばらんな酒好きで、ぼくも酒は好きだったから、ぼくにとっては気楽だった。
 相手が酒を飲んでいるということは、青二才のぼくにとってはひとつ肩の荷を下ろすことができる要因のひとつだと、ぼくは考えていた。だから、お互いに遠慮せずに飲むことができた、そうぼくは思った。
 上司の介添えも あって、一時間がたつ頃にはすっかりふたりとも打ち解けること ができた。
 ふたりともが、全ての物事に対して辛辣ではあったが、香織に比べて真希のほうがより、相手に対してしっかりと主張する性質であるようだった。そんな性質を早々に見抜いていた上司はわざと、、何度か真希の懐へ攻め入り、その都度に両手をあげて降参してみせた。
 そうして 上司自身がふたりの攻撃の的になることで、ふたりの自尊心を満足せしめたのだった。
 そういう技巧を用いて、上司は軽やかに場を盛り上げていくのだった。これは上司が商談ほかお客様との対話において使う武器でもあった。
 プライドの高いぼくはその都度その手際に感心したてきたが、今回もその手管に感服した。上司が商談上手と言われる理由が少しだけ分かったような気がした。
 話題が真希の仕事についての話に移った。真希は、中学校で国語の教師をしているのだとい う。上司はすかさず際どい質問をして、女性陣ふたりの顰蹙を買ったが、酔いの回ったぼくは思わず、「専攻はなんだったのですか?」と口に出してし まった。すぐに上司が話の次穂を継いで、会話をぼくと 真希が中心になるように仕向けてくれる。
「うーんと、近現代文学だよ」 照れるように小ぶりなピアスが光る、赤らんだ耳もとを掻きながら真希は答えた。
それからはぼくと真希の文学部時代の思い出話に花が咲き、良いテンポで会話が続いた。

 香織がお手洗いに席 に立った。気づくとテーブルには真希とぼくのふたりだけで、上司もいつの間にかいなくなっていた。
 真希は「お熱いこと」とふたりを冷やかすようなことを言ったが、ぼくはそれについては とぼけて何も言わなかった。
 しばらくし てふたりが別々に席に戻ってきた。香織の繊細な首筋が蒸気して朱色に染まっているようにみえた。
 上司は何事もなかったかのように席についたが、 「愛の告白は済んだ? おふたりさん」とぼくたちふたりをからかうことを忘れなかった。

 そうして合コンはそれなりに盛況に終わった。

 上司はふたりを車で送って帰り、ぼくは近場の駅から電車にのった。地元の駅からの帰り道、ぼくはジャケットを肩にかけて生ぬるい空気の中を上機嫌で音にならぬ口笛を吹きながら、たどたどしい足取りで、歩いて帰った。 

 つづく   

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