単身赴任を機に、酒を辞めました。正確には、辞めようと何度も失敗して、ある夜にようやく辞められました。きっかけは妻の一言でした。
隠れて飲んでいた
私は単身赴任をするまで、妻に隠れて酒を飲んでいました。
それは、妻から酒を禁じられていたことを不服に思っていたからです。
結婚までは相当量の酒を毎日浴びるように飲んでいました。
そして、それが元で妻と喧嘩になることも多々あったのです。
結婚してから、酒は「管理できている」と思っていた
結婚してからは、かなり酒量は少なくなりました。しかし、酒を飲まない妻から見れば、それでも異常に見えていたようです。
妻との約束で、私はたまに一本だけお酒を飲むことができていました。しかし、その時の私は「一本だけなんて飲んだうちに入らない」と思っていました。
そのため、時折隠れてお酒を飲んでいたんです。
今思えば、量が多くなくてもそうせざるを得ない私は、立派なアルコール中毒だったと思います。
そんな状況であっても、私は私自身の酒量を管理できていると誤った考えを信じ込んでいました。
単身赴任は、むしろ自由だと感じた
単身赴任をすることになり、隠れてお酒を飲む必要はなくなりました。
そして、毎日晩酌をするようになりました。
しかしそれでも、結婚前のように飲み過ぎるほどの量を飲むわけでもなく、自身で管理できていると考えていたのです。
妻から問われた夜
そんな考えが揺らぎ、自身の愚かさと向き合うきっかけとなった出来事は、ある夜のことでした。
私はその日上司に連れられて、飲みに行き、断ることもできないままに多量の飲酒をしました。
そして、妻への連絡を忘れ、そのまま帰宅して寝てしまったのです。
もちろん事前に連絡をしていましたが、帰る時間を連絡していませんでした。
結局連絡したのは、夜中の0時前後だったと記憶しています。
「何のために単身赴任をしているのか」
そんなときに、この言葉を妻から言われました。
その通りでした。
情けなかった。そして気づいた、これは自分のためだったと
私は、酒を飲むために単身赴任をしていたのだろうか。
いや、そうではない。
私は仕事における成功と、未来の妻との豊かな生活を得るために、今は単身赴任をしているのだと思っていました。
しかし、自分の酒のために単身赴任をしているという考えを完全に否定することはできないような気もしました。
私は、情けなく、惨めな気持ちになりました。
そうです。
私は、妻から離れて酒が飲みたかったのです。
選んだのは仕事ではなく妻だった
そして考えました。
私は、酒を飲み始めてから、度重なる失敗をしてきました。
そして、その度に反省し、その度にその反省を忘れました。
そうして、ここまで酒を辞めることができないままに自分の弱さに甘んじながら生きてきたのです。
さらに言えば、単身赴任という仮の生活も、仕事の成功のためとはいえ、本当の意味では最終的には妻との生活が前提であるはずです。
それなのに、これ以上人生の主目的ではないはずの酒にこだわっていることは愚かだと感じました。
だから私は、妻を選びました。
思い切って酒を捨てた
そこで私は思い切って酒を捨てました。しかしそれは、これまでも幾度も同じようにして、そして失敗してきたのです。
私はどうしたら今回の断酒がうまくいくのかと、頭を抱えてしまいました。
努力ではなく、仕組みで続けた
そこで私は、毎日アウトプットすることにしたのです。自身の内面や考えを書き出して整理することが、いつしか習慣になっていました。
この習慣は、これまでずっといろいろなことで悩み続けてきた私自身の考えをアウトプットして整理するために大いに役立ちました。
ですが、私はこれまで何度も挫折をしてきた過去があります。
そのため、努力ではなく仕組みとして、酒をやめる行動を設計することにしました。
具体的には、酒を飲みたくなった時に感じた気持ちを否定せず、むしろその気持ちを受け入れて観察することをひたすら記録することを続けました。
煙草については、減らすことを目標に同様に記録していきました。失敗しても記録して、振り返る。良い悪いではなく、どうすれば改善できるかだけをその時に考えるようにしました。
そのようにしながら、一日いちにちを過ごしていきました。
もちろんはじめのうちはかなり苦しい日もありました。しかしだんだんと、その気持ちの傾向が掴めるようになっていったのです。
私は酒や煙草を一種の切り替えスイッチとして用いていました。
そして、そんな飲みたい気持ちはその時だけ現れることがわかったのです。
はじめのうちはその切り替えスイッチを代替することで対処をしていましたが、知見が深まっていくうちに、ある重要な事実に気がついたのです。
私は、幼い頃からかなり「べき」思考が強く、そんな理想像に見合わない行動や感じた気持ちを押し殺し、見て見ぬフリをしていたのです。
アウトプットを記録をすることで、この今までの人生で押し殺してきた気持ちを認めることができるようになりました。
そうするうちに、少しずつ飲みたいという気持ちは薄れていったのです。
また、大きかったのは、習慣的な衝動で、新たな習慣で上書きしていくうちにその衝動は無くなっていったのです。
1ヶ月目よりも2ヶ月目の方がはるかに楽で、また3ヶ月目には酒を飲んでいたことによるデメリットに気づくようになりました。
飲めなくなった夜
ある日のことです。
妻とオンライン飲み会をしました。
そんな夜に、私の中での酒に対する見方が圧倒的に変化する出来事が起こりました。
久しぶりに買ったアルコール度数の高い酒
私は、久しぶりのお酒に少しときめいていました。一本だけ、という気持ちで、以前のようにアルコール度数の高い500mlのハイボールを購入したのです。
ですが、結論から言うとそのお酒は美味しく感じることができませんでした。
気持ちよくなかった。私は麻痺していたのだ
なぜなら、酔いの気持ちよさを感じることができなかったからです。
そこで私は麻痺していたことに気がつきました。
私はこれを美味しいと思って飲んでいたのだ。
それは味覚の美味しさではなく、脳の報酬でしかありませんでした。
はじめてお酒を飲んだ時のことを思い出しました。
こんな感じだったかもしれない。
その後、頭痛と吐き気が襲ってきて、私はそもそもお酒に強くなかったことにはじめて気がついたのです。
あるいはその事実も私自身が歪めて押し殺して無視しまっていたのでした。
そこではじめて、これまでの人生で感じたことのないような晴れ晴れとした気持ちに浸ることができました。
アルコールを飲む意味は少なくとも私の中でかなり薄まったのです。
気持ちと向き合うとはどういうことか
私は、断酒を通じて自身の気持ちとはじめて向き合うことができました。
私の思考は長年の経験から、歪んでしまっていたのかもしれません。
少なくとも今回の経験で、私の気持ちの中にあるもう一つの気持ちに気づくことができたのです。
べき思考を手放して気づいたこと
私はそれから極力べき思考を手放すように努力しました。
いや、努力というよりは、ただ記録することによって持続可能な形で仕組み化しました。
そうすることで、生きることがかなり楽になってきたような気がしています。
もちろん、まだまだ私の中にべき思考は強くありますし、むしろ仕事において私を押し上げてくれたものはその思考でもあります。
しかし今度は、しなければならないからではなく、能動的に選択することによって自らの手でやりたいことを実現していきたいと感じています。
飲みたい気持ちを押し殺すのではなく、認める
飲みたい気持ちは決して悪いことではありません。
私は自身の思考の癖の把握と習慣の持続可能な仕組み化による改善によって、自身の飲みたいという気持ちを認めることができるようになりました。
すると、意外にも飲んだ味を想像したり、飲んだ後のしんどさを考えたりして、「コーラの方が美味しいし明日の朝楽だしいいな」というように考えることができるようになりました。
すると、飲み会の意味についても考えるようになってきました。
飲み会はコミュニケーションが目的です。
ですから、アルコールはその媒介に過ぎない、ということにも気づくことができました。
すると今度は逆に「飲み過ぎなければ飲んでもいいじゃないか」とも思うことができました。この気持ちは飲まないことを前提にしたもので、飲まなくてもいいし、飲んでもいいというこれまでの私では考えることができなかったものだったのです。
まとめ
努力でやめたわけじゃありません。自分の正直な気持ちに向き合ったら、自然と変わっていたんです。
それは、自身の気持ちと向き合って認めることができた成果でもありますし、私がこれまで生きてきてどうにかして考えを前に進めたい、この自分のネガティヴな考え方から抜け出したい、と思い続けてきた結果でもあると思います。
かなり遅くなってしまいましたが、今ここにいる自分を起点として、これからも生活していくことで自分自身をブラッシュアップしていきたいと前向きな気持ちになりました。

